嗣永桃子さんにとっての「ももち」
帰り道に娘。のA B C D E-cha E-chaしたい の鼻歌を歌いながら自転車漕いでいたら唐突に、ベリにこの歌歌って欲しいわ!!!と思いましてベリに歌って欲しいというなによりもの理由が、会えばいつも緊張ね の「緊張ね」のパートをももちゃんに歌って欲しいなあここはももちゃんだなあ聞きたいなあと思ったことからです。
そんなことからももちゃんについて考え出して止まらなくてたまらなく書きたいので書きます!!
まずなんで 緊張ね を歌って欲しいのかって考えてみたら、私の中ではこういう小節の終わり?っていうかそういうパートをももちゃんに歌って欲しいなあって思いがあるっていうことでした。ももちゃんで締めるのがいいんですよー!すごく好き!こういう歌割が好きで!ももちゃんのおかげでピリッと引き締まるんですよね。また次の部分にまっさらにして進めるっていうかなんていうかちょっと言えないんですけど。
Berryz工房のメンバーでこういう歌割のポジションってか役回りができるのはももちゃんだけなのではって思ったりもしてます。主役!!とかじゃなくって細かい部分の表現のしかたというか。時に引き立て役として振舞うこともできる。
例えばの話、梨沙子は引き立て役ができないように思えます。梨沙子が引き立て役になるとしたらたぶんそれはりーたんが100%の力を出さないで、弱める形でってことになるのではないかと。やっぱしあの人は主役だよどうやっても主役が一番似合ってしまうのでは!と思うのは梨沙子ヲタの色眼鏡かもしれないですが
でもももちゃんは引き立て役の時は引き立て役としての100%が出せる人なんだと思います。器用に立ち振る舞える。
でもでももちろんロクエロの大サビみたいにぐぁーーーんと前に出て主役!!!としての活躍もできるんだから素晴らしいなあと。
最初は「Berryz工房におけるももちゃんの山椒的ポジション」ってタイトルにしよーとも思ったんですけど、やっぱし主役にもなれるから山椒じゃないし、なにより桃子姫は山椒に例えられるなんてマジでやめて!!って感じるかなあと思って辞めました笑
単純に自分が山椒好きだから山椒って例えを使いたかったのです笑
そんなわけで、ももちゃんは本当に器用で賢い人だと思います。器用で賢いので人よりも多くのことができたりする、言い換えればできてしまうので負担も大きいのではと思ったり。
そしてやっぱりももちゃんが賢く計算して行動しているからこそ、Berryz工房成り立ってるっていうところもあるのではないかと。
ももちゃんはソロでもやっていけるんじゃないか〜むしろ桃子はそのうちBerryz工房を捨てるんじゃないかなんて言われてしまうこともあるほどに、ヲタがそんな心配をしてしまうほどにしっかりしているわけですが。でもこのことに関してはまったく心配しなくてもいいと思っているんですけれど。ももちゃんの心にはしっかりと、Berryz工房でいるからこそ、Berryz工房があるからこそ、帰ってくる場所があることが自分の強みっていう思いがあるんじゃないかと。ううーーんまじでうまくは言えないんですけど1人でどうにかなる〜とは思ってないと思うんだけどなあ。そんでもって自分がBerryz工房にどれだけ貢献してるかみたいな自覚もしっかりあると思いますし。
賢いので計算して行動するし、もはや計算せざるを得ないポジションになってしまっているところもあるのではないかと。計算して行動する人はなんだか生意気だとかあまりよくない印象を持たれがちな気もするのでこういう部分の苦悩もあったりするのかなあと思ったりもします。ももちゃんは本当に功労者だと思います。お酒は飲まないみたいなのでどーやってストレス発散してるのか疑問です笑 弟さんはももちゃんのおもちゃになってあげてね!
そんなももちゃんなんですよ。そんなももちゃん。本当は桃子姫!!!として1番にチヤホヤされたいし1番になりたい主役になりたい自分の思いのまま気の済むままに愛されたい目立ちたいっ!!という思いがあっても自分がやるべきことを淡々とこなしていく人です。もちろん毎度主役ってわけじゃないです。
そこで!自分の願望欲望こうありたいこうしたい!!という姿、嗣永桃子さん自身がこうありたい!と思っている自分を詰め込んだものがみんなのアイドル、今日もかわいい「ももち」というキャラクターなんじゃないかと思います。押し殺して押し殺してきた感情の行く先といいますか。嗣永桃子としてはいつも周りを考えグループを考え正しいことを選んでゆくので。
ももちゃんがももちゃんの思う理想の自分というか、こうありたい!という面を持っている「ももち」に憑依することでしか、ももちゃんは自分の好きに行動することが出来ないのではないかと。
うーーーーんちょっと言葉にするの難しくって全然意味わかんなくなってきたんですけど笑、
「ももち」を誰よりも愛していて「ももち」になりたい!!!と思ってるのがももちゃん自身なんだと思うっていう話で。
本来ならば四六時中「ももち」みたいに生きていきたいのかもしれないですももちゃんは。みんなのアイドルとして愛されたいかわいがられたい。いつだって小指でファンの愛を受信していたい。お姫様でいたい。頭に天使の羽がついているかわいいかわいいアイドル。
でもまわりのことを考えて行動するためには四六時中ももちではいられない。って感じでしょうか
ももちはももちゃんの理想とも言えるこうありたい!という願望を表した姿なので。だからももちゃんはももちキャラをdisられることをあんなにも嫌がるのかなあと思います。大好きな憧れの姿を否定されることなんて耐え難いんだと思います。
素の嗣永桃子が憧れているなりたい姿こそが「ももち」なのに。素の自分が好きだと言ってる人がまったく理解してくれないのってなお辛いのではないかと。かわいそう。
「ももち」がももちゃんが押し殺してきた感情の先に生まれたものだって思ったら、私はもう全力で「ももち」を愛したいし全力で甘やかしたいし、ももちで居たいときは好きなだけももちでいていいよって。そういうふうに受け止めてあげたいなあって思いますしそうすることしか出来ないのかなあって思います。
なんか意味が分からない文章になりましたけど、とにかく、ももちを愛していきましょーよももちを含めて嗣永桃子さんなんだよって話がしたかったのです。ももちゃん大好き!!!